カノッサ修道女会の創立者 聖マダレナ・カノッサ
カノッサ修道女会の創立者 聖マダレナ・カノッサ
1774 | 誕生 |
1779 | 父の帰天、3年後に母再婚し子供達と離別 |
1794 | 仏革命でベローナが戦禍に |
1808 | 修道会を創設 |
1835 | 帰天 |
1988 | 列聖 |
「キリストは、知られていないから愛されていないのです。」 マダレナの言葉は、彼女の悲しみでもあり、福音宣教の情熱でもあります。 男爵家で生まれますが、親との離別で、身体的精神的にも苦しみの中で過ごした少女マダレナ。 しかし、霊的に敏感だった彼女は、自らの召命を懸命に探求。 仏革命後の社会的混乱の中、貧しい人々や孤児のため、様々な愛の活動を始めます。 やがて、十字架のイエスのうちに、霊的根源と使命を見出したマダレナの人生を振り返りましょう。
聖マダレナの霊性
生涯と霊性を、絵とともに知る「聖人の霊性」はきっと誰でも知りたい事♪ マダレナの霊性を、画を見ながら知りましょう。生誕から、召命の探求、修道会の創設を色鮮やかに辿りましょ
聖マダレナの言葉
言葉を味わいながら、霊性を知る“モンテバルドの空気” ペン先…唇から、いつも溢れる豊かな表現を、マダレナは地元の山に例えてこう名付けました。希望と、慰めとなる彼女の言葉を味わいましょう。
マダレナ・カノッサ年表
0歳 | 1774.3.1 誕生 北イタリア、ヴェローナのカノッサ宮殿にて。5人兄妹の第3子として生まれる。同年、聖ロレンツォ教会にて受洗。 |
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5歳 | 1779 父の帰天 オッタヴィオ・ディ・カノッサ侯爵が、休暇先にて事故で亡くなる。 |
7歳 | 1781 母の再婚 母テレサが、マントヴァ出身のオドアルド・ザネッティ侯爵と再婚。母は5人兄妹を置いてマントヴァへ。 1781 苦悩の思春期がはじまる |
14歳 | 1788 体調不良に苦しむ日々をおくる |
16歳 | 1790 霊的指導をうける。この前後、ルイジ・リベラ神父から霊的指導を受けはじめる。 |
17歳 | 1791 観想修道会で過ごす。 ヴェローナの、跣足カルメル会修道院で10ヶ月程過ごす。自分の召命はそこにないと悟る。 |
18歳 | 1792 再び観想修道会で過ごす。 コネリアーノの、跣足カルメル会修道院で過ごす。再び、自分の召命はそにはないと悟る。 |
19歳 | 1793 カノッサ宮殿の管理者になる |
20歳 | 1794 ヴェネチアへ逃げる フランス革命の煽りを受けたヴェローナは、戦禍に。一家でヴェネチアへ逃げる。 |
21歳 | 1795 召命のビジョンが夢に将来の奉仕する姿、姉妹の姿を夢に見る体験がはじまる。 |
22歳 | 1797 ナポレオンがカノッサ宮殿へ ナポレオンがイタリア遠征の折、宿としてカノッサ宮殿に宿泊。聖マダレナ管理者としてが勇敢にもてなす、1805年, 1807年にも再訪。 1797 ヴェローナは戦禍に。政情不安で、ヴェローナは戦禍の地に。人々は徐々に貧しくなってゆく。 |
34歳 | 1808 サンジュゼッペ修道院を開設 ヴェローナで貧しい子どもたちへ教育奉仕(学校) がはじまる。 |
38歳 | 1812 修道院を開設@ヴェネチア ヴェネチアでの病院奉仕の開始。1816年ミラノ、1820年ベルガモにも修道院を開設 |
54歳 | 1828 修道会の正式な認可 修道会がバチカンの正式な認可を受ける。教皇レオ12世の勅令”Si nobis” にて。 |
57歳 | 1831 男子修道会を設立 ヴェネチアにカノッサ男子修道会と、そのための神学院を設立。 |
61歳 | 1835.4.10 帰天 ヴェローナの修道院にて、受難の金曜日のことだった。 1941.12.7 列福 教皇ピウス12世により 1988.10.2 列福 教皇ヨハネ・パウロ2世により |